2005年8月18(木) 曇り~晴れ;

・”東ちづる出馬”は所属プロダクションでは打診すら否定している。
ま、詰めでは相談必須だが、議員立候補はプロダクションの問題ではない、個人の問題。
・民主党党首岡田は、ホリエモンから面会依頼が有り会ったと言っている。
え?そうなの?ホリエモンが何の話だったのだろう。

何かと、少しメディアが「ネタにしすぎ」ているようだ。

こちらは、元経営陣が逮捕されたカネボウ粉飾決算事件の捜査情報
・粉飾経理、各事業部門で脈々と継承
 カネボウでは各事業部門ごとに粉飾のノウハウを用意し、それぞれの経理担当者が代々引き継いでいた。中でも繊維部門では少なくとも約30年前から、不正な経理操作が続けられていた。旧経営陣のもとでは、粉飾が同社の企業体質になっていた。
 ノウハウは各部門の経理担当者がそれぞれ継承。他の部門と情報交換して、お互いの手法を取り入れたり、複数の部門の手法を組み合わせることで粉飾のやり方を改良したりすることも行われていた。
 主な手法は、
〈1〉決算期末に売れ残った商品を、返品を条件に小売店などに引き取ってもらい、売り上げを水増しする「押し込み販売」
〈2〉不良在庫となった毛布を販売したように装い、架空の売り上げを計上する「宇宙遊泳」
など。

呆れた話っぽいが、程度の差だけで、
保守体質の大企業(特に製造業)ではどこも似たようなものだろう、多分。
似たような出来事を身近にて知らないでもない・・・・・
それが”(経営)努力”と言われていた(いる)!のだろう。
#株主の金(運用委託資本)と自分達の時間(自己資本)を浪費しているだけなのだが。
今の時代、会計ソフトは充実しているので”シミュレーション”は簡単にできてしまう。
”粉飾決算”ってのは”一番都合の良いシミュレーション結果”ってとこだろう。

甲子園では出身地(田舎)山口県代表宇部商が、今地元西東京の日大三高を再逆転で下した。大接戦だったようだ。
ま、こうなると明日からは出身地地元の宇部商を応援だ。
20年前には決勝まで行ったが、3-4でPL学園に負け惜しくも準優勝だった。



カネボウ粉飾:「経営選択肢なかった」元役員語る
 「選択肢は無かった」。カネボウの粉飾決算事件で、当時の役員が毎日新聞の取材に対し、不正な経理操作を続けた背景を明らかにした。東京地検特捜部は、元社長、帆足隆容疑者(69)らを18日午後、証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)で起訴する方針だが、元役員は「責任は等しく背負わなければならない」と語った。

 「会社の経営が危ない時、経営者の選択肢はほんのわずか」。帆足容疑者と同時期に取締役を務めた元役員はこう振り返る。経営再建の前提となる不採算部門からの撤退は、損失の確定を意味するが、カネボウが損失処理に耐えられる保証はない。粉飾による延命か、一か八かの合理化か。取締役たちは結局、前者を選んだ。

 68年、社長に就任した伊藤淳二氏は繊維、化粧品、薬品など5事業を中核にしたペンタゴン(5角形)経営を推進。果てしない事業拡大は巨額の負債を生み、特にアクリル糸の大量売却先だった毛布加工・販売会社「興洋染織」(大阪府和泉市、解散)の取り扱いが焦点になった。

 倒産させれば、約459億円もの債務超過が表面化する。「あれ(興洋)をつぶしたら、ほか(カネボウ本体)も全部だめになる」。98年1月の取締役会で興洋の支援拡大が決まった。しかし、不良債権はその後も増加。興洋を連結決算の対象から外し、表面上は「好調」を装った。

 大胆な合理化も検討した。銀行から「負債が多すぎ、収益性が悪い」と改善を求められ、周辺からも「改革のテンポが遅い」と非難を浴びたからだ。「不採算分野からの撤退は無理でも、せめて縮小を」。そう願っても「経営の核を捨てるのか」と先輩(OB)から強い批判を受けて実現しなかった。「合理化を進めたくても、後ろから弾が飛んでくる」。そんな社内状況だったという。

 その結末が、必然とも言える粉飾決算だった。「私だって(帆足容疑者らと)同じようなものかもしれない」。元役員の表情は終始険しかった。

毎日新聞 2005年8月18日 15時00分
by nakatsukasadiary | 2005-08-18 20:43
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